宮城県・石巻見学

今更ながら、被災地石巻市を見学しに行って参りました。



遡ること数ヶ月・・・。


岩手県大槌町の同業者であるロータス倉本さんと東京でお食事をした際に

「今からでも遅くないから、一度被災地を見ておいた方が良いよ。」と

お聞きして、京都のリバティさんの蓮尾社長との帰りの新幹線で「行こう!」

と決まったのが、事のきっかけでした。

不謹慎な言い方かもしれないけど、一生に一度見られるか否か。

TVで見る画とは全く違うとの事で見学しに行くことを決意しました。






リバティさんはスタッフも合わせて9名。

ファミリーは6名の合計15名で飛行機やレンタカーを乗り継いで石巻へ。



空港を出て、いきなり1階部分が被害を受けている飲食店や民家が

姿を現すと、もうそこは別世界でした。



現時点ではヘドロはどこにも見当たらず、瓦礫は道端にはなく

一箇所に集められている状態です。

これが道や家や海に散らばっていた状況が正直想像出来ません。

さらにヘドロだらけで、その辺には亡くなった方々が見ることの出来ない姿で

ゴロゴロしている。取り残された人々の悲痛な叫びが飛び交っている。

そんな状況が全く想像出来ないんです。

そんな地獄絵図のような現実があったことが受け入れられない自分がいました。




よくTVに映るところです

ここは何百もの家がある住宅地でした

石巻の高台から


ここの中洲にも建物がしっかり建っていたそうです

缶詰工場の大きな看板

石の森博物館

防災無線で最後まで避難を呼びかけながら自らが被災してしまった場所

普通に考えてこの建物の3階まで津波が来るとは全く想像出来ません

病院の一角に船が乗っかっている

生徒の8割が被害にあった大川小

建物の上にバスが

こちらもTVでよく映るところです

瓦礫の山、これが至る所にある

受け入れ先がまだまだ少ないのも納得できるくらいの量でした

ここにも沢山の建物があった

黒板やイスや机がみえます



未だに信じられない。信じたくない現実が目の前にありました。

「コト」があまりにも常識を逸脱しすぎているあまりに

全てのことに想像がつきません。出来るわけがありません。

悲しいエピソードなどには耳をふさぎたくなりましたが、

東北以外の私たちが被災地の情報を知らなさ過ぎることも分かりました。





ですが、暗くなって沈んでしまう為に石巻に来た訳ではありません。

これをどう伝え、どう生かし、どう助け合って乗り越えていけるか?

口で言うのは簡単ですが、完全な復興はおそらく10年後、15年後、

もっとかかるかもしれません。

同じ日本人として単発的な支援ではなく、長期的に東北を支援していくこと。

そして、少しでも節税する。のではなく、少しでも納税することで

自衛隊の方々や、身を粉にして働いた役所、役場の皆さんのお力になること。

そうすることで少しでも東北の復興の力になりたい、と強く思えた見学に

なりました。




大川小の慰霊碑においてあったメッセージです。
  

           安らかにお眠り下さい。

           お父さん、お母さんも

              少しずつ

              前進するよ



勝手ながら私たちに出来ることは、前進しやすいように後ろから支える、

応援する、引っ張る、一緒に泣いて、笑うことだと思いました。




きっかけを下さった倉本社長、2日間付きっきりで案内して頂いた

阿部勝自動車の皆さん。本当にありがとうございました。



この度の大震災で亡くなられた方々のご冥福と、

被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。