セクショナリズムって。

どの会社にもセクショナリズムってあるんだろう。

現場と営業。店舗間。すぐ隣の部署同士。年次の違いなど。

大企業で何階もあるビルの中で働いてたりすると、

違うフロア、間仕切りで仕切られたスペース、喋ったことも無いもの同士

余計にそれが生まれやすくなったりするんだろう。













我が社は、他の会社と比べると比較的無い方だと思うし、

何か行事ごとがあってもとても仲が良い。

だけど少なからず存在している。どこにもあることかもしれないが

ヤキモキするのは正直なところ。














そういう状況を作ってる要因はそもそも「経営手腕の無さ」が原因な訳で

あの手この手考えてみるが決して簡単に上手くいくものでもない。

このブログでは不満を書きたい訳じゃなく、反省を述べたい訳でもない。

客観的に見てセクショナリズムってなんやろう?と考えてみたい。















結局セクショナリズムって言い方を変えれば

「自分事の幅の大きさ」ではないかと思う。

つまり「自分自身のセクションの大きさ」だ。













もし僕の自分事の大きさが「ファミリーカーショップ」だとするなら

その他大勢の車屋さんとの間にセクショナリズムが発生する。

もしその大きさが「車業界」なら、違う業界との間にそれが発生する。













もちろん人がもっているセクションは一つだけではなく沢山存在する。

可児市」というセクション、「岐阜県」「日本」「地球」「男」「人間」など













そこまでセクションを出して気付くのは、

セクションの幅が大きければ大きいほど、広い視野で色々見られれば

争い事やつまらないセクショナリズムのストレスに悩まされることはないってこと。













もう一つはなぜセクションが違うとわざわざ争わなきゃいけないのか?ってこと。

結局人間は皆自分が正しいと思ってるし、自分と違う価値観の人を避けようと

する。60億も70億も人口居たら価値観違うし、宗教も違うし、気の合わない

人だってどんだけでもいる。













それがなぜいけないんやろう。時には「色んな人がいるな〜」ってほっとけば

良いし、どうしても仕事やプライベートで交わることが多い相手なら

「じゃあどうする?」ってお互いに歩み寄れば良いだけの話。

私利私欲だらけの世の中だから戦争も起きるし、犯罪も起きる。













世界を変えようなんて大それた考えはないし、想像もつかない。

まず想像がつくのは自分の会社、自分の友達、自分の家族からそんなもんが

無くなっていけばいいし、無くすための努力をしていこう。

やはり「相手への思いやり」と「コミュニケーション」やな。












たかだか数十人、数百人の組織でセクショナリズムなんて言ってたら

いかに自分の住んでる世界ってちっぽけかってことだ。