記憶力。

人によって若干の違いはあるものの、実は記憶力にあまり差はないのではないか。

もちろん歳をとれば記憶力は年々衰えていきますが、あくまでも同年代の人と人で

比べたらさほど差はでないのではないかと。















そもそも記憶力って時間が経過してもどれだけ覚えていられるか?だとすれば

じゃあ忘れにくいことって何か?と考えたら「興味があること」だ。

自分が好きな車のこと、好きなアイドルのこと、自分がなりたい職業のことなど

興味があることはスッと頭に入ってくるし、中々忘れない。












中学や高校でやったテスト勉強(特に記憶系の科目の社会や理科など)は

興味が無い為ほとんど忘れている。

でもその当時興味があった英単語やサッカー選手の名前などはいまだに

覚えている。













人によって記憶力に差があるように感じるが、実はどこかのジャンルにおいて

人よりも必ず勝っている「記憶量」があるはずだ。

自分の好きなことや趣味を仕事に出来たら最高だと思うが、

それはつまり「記憶量が多いジャンルを仕事に出来たら最高だ」と言い換える

ことが出来るのでは。













人の顔や名前を覚えることが得意な人もいれば、誕生日を覚えることが

得意な人もいる。数字の記憶が良い人もいれば、在庫の記憶が良い人もいる。

法律の記憶や過去の仕事の経験の記憶、人の話したことの記憶。

その人が得意とする記憶のジャンルは最もその人が興味を持っていることでもあり

その人の最大の強みでもある。












記憶なんかしなくても今はネットや携帯ですぐ調べたらいい、なんて言われるかも

しれないが、そんな誰でも出来ることでは「プロ」と呼べないし

自分の仕事を尊いものには出来ない。













すぐに答えられるスピード感とそのジャンルに対する愛情や熱量に人は

魅了されるのではないか。

大事なのはどれだけ覚えていられるかという「容量」の話ではなく

どれだけ自分の商売に熱をもっているのか?が

「記憶力」という形で表せるのではないか。とふと思ったので書き殴って

みました。

よりシンプルにより短く。

個人的にNPO法人縁塾という活動を通じ地元の高校生に向けたキャリア教育を

行っています。

高校生の前でプレゼンをする機会が多々ありますが、伝えるのって本当に

難しいなと実感しています。













ホントに伝わったのかなと反省してみたり、今高校生にこんな話しても

分かんないかな、まだ早いかなとか色んなことを思ったりします。

そのプログラムの中で大学生が高校生にプレゼンする場もありますが、

年齢が近いこともあって親近感を持って話を聞いているようで

しっかり伝わってるのを実感することが多い。













すぐ目先のことであったり、現実的な話題だからこそスッと入ってくるんだろう。

僕の話すことはあまり間近なことではないし、伝わりにくいんだろうと

思いつつもいつか点と点が繋がったらいいと思って話をしています。













高校生がそんな僕らの話を聞ける時間ってもって一時間程か。

あまり長ったらしく話すと飽きてしまうだろう。

大学生の子達だったら友達感覚でどこまでも話が尽きないのかもしれない。













そう考えると、自分があと10才年を取ったら。

50才、60才、70才になったらドンドン距離が離れていくから

より話も聞きづらくなるし、伝わりにくくなるだろう。














でも人生経験が豊かになればなるほど伝えたいことは増えていくし

伝える内容にも「深み」を増していく。

だから年を取る度に「より短く、よりシンプルに」伝える術を持ちたい。














それこそ「深み」が伝わるまでは数年かかるし、いつ点と点が繋がるかは

分からない。

だけど、可愛い子供や甥・姪、そしてスタッフやその子供たちに

何かしら良い影響が与え続けられる人間になりたいので

今日からより意識してやっていこう。「よりシンプルにより短く」

セクショナリズムって。

どの会社にもセクショナリズムってあるんだろう。

現場と営業。店舗間。すぐ隣の部署同士。年次の違いなど。

大企業で何階もあるビルの中で働いてたりすると、

違うフロア、間仕切りで仕切られたスペース、喋ったことも無いもの同士

余計にそれが生まれやすくなったりするんだろう。













我が社は、他の会社と比べると比較的無い方だと思うし、

何か行事ごとがあってもとても仲が良い。

だけど少なからず存在している。どこにもあることかもしれないが

ヤキモキするのは正直なところ。














そういう状況を作ってる要因はそもそも「経営手腕の無さ」が原因な訳で

あの手この手考えてみるが決して簡単に上手くいくものでもない。

このブログでは不満を書きたい訳じゃなく、反省を述べたい訳でもない。

客観的に見てセクショナリズムってなんやろう?と考えてみたい。















結局セクショナリズムって言い方を変えれば

「自分事の幅の大きさ」ではないかと思う。

つまり「自分自身のセクションの大きさ」だ。













もし僕の自分事の大きさが「ファミリーカーショップ」だとするなら

その他大勢の車屋さんとの間にセクショナリズムが発生する。

もしその大きさが「車業界」なら、違う業界との間にそれが発生する。













もちろん人がもっているセクションは一つだけではなく沢山存在する。

可児市」というセクション、「岐阜県」「日本」「地球」「男」「人間」など













そこまでセクションを出して気付くのは、

セクションの幅が大きければ大きいほど、広い視野で色々見られれば

争い事やつまらないセクショナリズムのストレスに悩まされることはないってこと。













もう一つはなぜセクションが違うとわざわざ争わなきゃいけないのか?ってこと。

結局人間は皆自分が正しいと思ってるし、自分と違う価値観の人を避けようと

する。60億も70億も人口居たら価値観違うし、宗教も違うし、気の合わない

人だってどんだけでもいる。













それがなぜいけないんやろう。時には「色んな人がいるな〜」ってほっとけば

良いし、どうしても仕事やプライベートで交わることが多い相手なら

「じゃあどうする?」ってお互いに歩み寄れば良いだけの話。

私利私欲だらけの世の中だから戦争も起きるし、犯罪も起きる。













世界を変えようなんて大それた考えはないし、想像もつかない。

まず想像がつくのは自分の会社、自分の友達、自分の家族からそんなもんが

無くなっていけばいいし、無くすための努力をしていこう。

やはり「相手への思いやり」と「コミュニケーション」やな。












たかだか数十人、数百人の組織でセクショナリズムなんて言ってたら

いかに自分の住んでる世界ってちっぽけかってことだ。

子どもがもたらしてくれる出会い。

昨日は定休日。そして奥さんの誕生日だったので、名古屋へ買い物に

出かけました。まだ生まれて6カ月のチビはベビーカー乗せてもギャン泣き、

抱っこしててもギャン泣き、眠たいのに眠らないという中々の困らせ屋です。













だけど赤ちゃんを連れてると全くの赤の他人と会話が増えます。

エレベーターの中で。すれ違いざまに。昼ご飯の時に。

「可愛いね。」だとか「何カ月ですか?」とか。













特に同じくらいの子供を抱っこしている親とは特にシンパシーがあうのか

自然と会話になります。小さい子供の笑顔や寝顔は無条件で人を笑顔に

させてくれます。













すっごくなんともない日常的なことかもしれませんが、

昨日はそれがとにかく嬉しかったんです。

出会ったことがない人やもう2度と出会うことが無い人とのご縁をもたらしてくれる。

人の温かみに触れながら楽しい休日を過ごすことが出来ました。











育児はとても大変ですが、色んな幸せや喜び、発見をもたらしてくれます。

自分が「父親になった」のではなく、子供が「父親にさせてくれている」。

育児にも仕事にも感謝して、楽しんでやろう!

強さと優しさ。

昨日報道で小林麻央さんが亡くなったことを知りました。

海老蔵さんの会見はとても漢らしく、闘病生活の中で彼も人として

逞しくなっていったのが伝わってきました。











麻央さんが世界で影響力のある女性100人で選ばれた時のブログが

とても印象的だったのでここに転載します。










―――――――――――――――――――――――――

人の死は、病気であるかにかかわらず、

いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、

人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」

「小さな子供を残して、可哀想に」

でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが

私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、

愛する人に出会い、

2人の宝物を授かり、家族に愛され、

愛した、色どり豊かな人生だからです。

だから、

与えられた時間を、病気の色だけに

支配されることは、やめました。

なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。

だって、人生は一度きりだから。

――――――――――――――――――――――――――――原文のまま












この文章から私が感じたのは「強さ」と「優しさ」の2つです。

「たった一度の人生を彩り豊か」にするのは、今起こっている事実が全てではなく

「どのように考え、どのように生きたか?」です。

それをどんな状況でも出来る人が本当の意味で人生を充実させていると

思うし、「強い人」だなと感じました。













果たして自分が同じ状況に直面した時にこのように考えることが出来るかは

分かりません。毎日マイナス発想ばかりしてメソメソしてるかもしれない。

でも、自分を生んでくれた両親と支えてくれた妻、

そして可愛い子供たちに「無念だろうな」とか「父は幸せだったんだろうか?」

と悲しませるようなことだけはしたくない。













麻央さんがどう思ってこの文章を書いたかは分かりませんが

残された家族への「優しさ」や愛情がたっぷり込められている。

きっと家族は彼女の人生を強く誇りに思っていると思う。

安らかに眠って下さい。

メンタル。

テニスの全仏オープンに参加していた錦織圭君は残念ながらベスト8で

大会を去ることになりました。遅くまでテレビにかじりついていて応援していた

私ですが、「あっぱれ」の拍手を彼に沢山送りました。「よくやった!!!」














と、思いきや次の日のネットニュースにはこんな記事を発見しました。

松岡修造「大事なところでスポッと心が乱れる」

過去のウィンブルドンチャンピョン2人の談話

「圭は世界一の才能を持っている。でもメンタルが弱すぎてノーチャンスだ」














正直素人の自分からしたら何のどこがメンタルが弱く見えるのかは分からないが

プロから見たら強気でいかなきゃいけないところをいけてなかったり

落ち着かなきゃいけないところを焦ってしまったり、という姿が眼に映るんだろう。














世界ランク12位の圭君が「メンタル弱い」って・・・。

世界のTOPの中のTOPでやってる人たちのメンタルってどうなってるんやろう。

この世の中、上見たらホントキリないけど、人間ってお金でも名誉でもなく

本能的に上に行きたいってDNAが騒ぐんだろう。















確かにどんなことにおいても出来るだけ上にいきたい。

それら全てがが幸せと直結するかはまた別の話だけど。

「どんなこと」においても上にいくにはやはり「メンタル」って肝になる。















恥ずかしがらずに出来たらどんなに楽しいだろう。

一切人の目を気にせず行動出来たらどれだけ肩の荷が下りるだろう。

「こうあるべき」って考え方を捨てたらどれだけ自分らしくいれるだろう。














人生たったの一回限り。人の目を気にせず、やりたいことやって、自分らしく

生きた結果、社会に役立ったり社員を幸せに出来たらこの上ない幸せ。

もっと泥臭く!もっと楽しんで!もっと感情をむき出しに!

遺伝と教育。

顔や姿は遺伝するものだけど、性格においての遺伝って無いと思ってます。

結局は教育したことや、その子が「思考」したことがその子の性格・人格や

人生になっていくと信じているので、何を思考させるかが大切であると思う。












だけど時に自分の娘を見ていて自分と似た性格だと思うことが多々ある。

特に良くない癖の部分であったり、似て欲しくない部分において。

これって遺伝なのか?それとも自分の背中を見てそうなったのか?

「そんな教育はしていない!(笑)」って思う瞬間がある。












となると、やはりDNAという運命には逆らえないのだろうか。

先日も嫁にお手伝いをお願いされた娘が面倒くさがってやろうとしない場面が

あった。正直、(昔の自分に似ているな)と思って見ていた。

結局思いっきり怒られた後で「ごめんなさい!」を繰り返しながら

お手伝いをしていた。













自分にソックリだからこそ、あまり感情的にはならずにしっかり娘を

諭した。どこまで伝わっているかは分からないが。

やはりDNAなのか?結局蛙の子は蛙で自分以上でも以下でもないものなのか?














そのまま部屋に行って眠るまで隣で付き添うことに。

「面白い話して!」とせがむので小学校の時の自分の恥ずかし体験談をして

ひとしきり笑った後、眠りについた。













と、思ったら急にガバッと飛び起きて「あっ!!!!!」と一言。

「どうした??」

「明日の着ていく服の用意をしていない!!!」

「まぁ眠たいだろうし、明日の朝やったらいいじゃん。」

「明日の朝バタバタするのは嫌だ!」













と言ってベットから飛び起きせっせと準備すること1分少々。

「これで安心して寝れるわ〜。」と言っていよいよ眠っていった。

正直自分はかなりビックリしたし、関心した。













自分は服の準備なんて朝にしかしたことが無いし、何なら遅れたら後で

追いつけばよいくらいのんびりしていた。

確かに娘ものんびり屋ではあるが、その中にもしっかりと嫁さんの教育と

思考が根付いて、彼女の人格となっていた。













蛙の子は蛙。かもしれないが確実に自分以上の蛙になっていくのではないかと

感じるとても良い機会になった。

自分の性格は父と母を足してキレイに2で割ったものだと自覚している。

それは決して単なる遺伝ではなく、時間と愛情をかけて教育してもらい

今の思考(性格)になっている。













決して人様に誇れるような人間ではないが、自分の思考や性格は自分自身が

とても好きなことを知っている。

自分が自分でいられることに感謝だし、そう思われる親になりたい。