生きる目的。生かされている理由。「必要・必然・ベスト」

偶然とは思えない事がやたら続く事ってありませんか?

同窓会で十数年振りに会った友達に、数日後に普通にコンビニで会ったりとか。

珍しい車の注文が入ったと思ったら、その車を探してる商談が重なったりとか。

他にも何やらかんやら・・・。良い例が思いつかん。

「モテ期」とかもその類いでしょうか?僕には無縁でしたが(笑)









最近僕に起きてる現象。それは「色んな人とやたら出会う時期」なのです。

もちろんきっと偶然ではないと思う。

以前に増して講演会とか、勉強会とか、ただの飲み会とか含めて参加する機会が

多くなった。

以前にも増して「誰か刺激のある人に出会いたい」とか「もっと色々勉強したい」

っていう気持ちが強くなった。









そう願えば願うほど自分からドンドン前に出て行くし、積極的に色々顔を出す。

そりゃ出会いが増えて当然か(笑)

ありきたりな事を書くけど、やはり出会いをご縁を大切にしたい。

過去の人生を振り返った時に、自分の人生のターニングポイントや

価値観が変わるきっかけになるのは大抵「人との出会い」が影響してるから。










しかも、その影響力のあった人に出会うには違う誰かからの紹介だったり・・・

その紹介してくれた人との出会いはたまたま勉強会で隣の席だったり・・・

その勉強会を勧めてくれる人がいたり・・・などなど。

偶然か必然かさまざまな分岐点を通り導かれるようにして今ここにいる。

きっとこれも全て必要・必然・ベストなんだと思う。










先日、どうしても行きたかった講演会があった。

知覧特攻隊員の板津さんの講演。

どうしても都合が合わずに前日まで諦めていた・・・

が、しかし!!

元々予定していた方のキャンセルの連絡が入り、すっぽりその時間はドフリー。

偶然にも当日飛び入り参加出来る事が決まった。

永遠の0を見たばかりということもあり、非常にリアリティがあって

時間があっと言う間に過ぎました。









終戦間際、知覧からの特攻隊員として出陣。

エンジントラブルにより板津さんをあわせ3機ほどが途中で不時着してしまう。

不時着した他の2機の乗組員はアメリカ空母に突撃出来ない悔しさと

どう祖国に帰って良いか分からない思いからその場で自害してしまう。

ご存知の通りパイロットは10代後半、もしくは20代前半の青年である。

そのまま終戦をむかえ日本へ帰ってきた板津さんはやるせない思いと、周りの目を気にして

肩身の狭い生活をおくる。








戦争の記憶を忘れようとする為に名古屋市職員となり仕事に没頭するように。

忘れたい一心で働いて、働いて、働き続けた。

戦後、日本が高度経済成長をとげたのはこういった事情も起因しているのだろうか。

55歳で早期退職後、自分の生きている目的。「生かされているワケ」を

求める。

導き出した結論は、全国を回って知覧特攻隊員の生きた証を探すことだった。









その当時はこれといった資料も無ければアテもない。ただひたすらに自分の足で

全国中を声をかけてまわった。

何年もかけて集めた貴重な資料を持って知覧に「知覧特攻平和記念館」を作る。

板津さんは記念館の初代館長である。

戦争や特攻隊を良しとしない時代背景もあり、沢山の人に中々自分の同志達の

事を知ってもらえずに苦労の日々をおくるが、

少しずつ世に認められ始め今ではとても多い来場者で溢れている。

修学旅行で来る学校も年間800校を超えるらしい。











数十年かけてやってきたことが実り、

そして自分が生き残った必然の意味を知り、堂々と講演されてました。










89歳とは思えないくらいお元気です。現役でテニスもやっています!!

背筋もピンとしているし、何より講演の間約2時間程立ちっぱなしで

熱弁されていました。

講演主催者の方から聞いた話によるとノーギャラだそうです。

もしお金もらって講演した時は、あの世へ行った時仲間のパイロット達から

「俺達の話でゼニ儲けしやがったなーー!!っていわれちゃうから(笑)」

っておっしゃって全額寄付されたそうです。










そしてもう一つ。パイロット達の沢山の遺書を読んでいたら・・・








可児市東帷子出身」と書いてありました。

僕らの父・母が生まれるホンの数年前に起きた沢山の悲惨な出来事。

決して遠い話ではないし、決して忘れてはいけない。

でも、今後こういうお方達の話を聞ける機会はグンと減っていきます。








その人達からバトンを頂いた僕達に出来る事はなんだろう。

戦争や特攻を美化するつもりはないけど、

今の日本人にない「祖国を思う気持ち」と

焼け野原から経済大国を創り上げた先人達の努力と思いを

ツナゲテいかなければ。

日本人であることを心の底から誇りに思える「日本」を作ることが

先人達への恩返しなのではと思います。








やはりこのタイミングでの講演・出会いは「必要・必然・ベスト」だった。

と思うときがきっとくるはず。